絵の探求と日々のあれこれ

「先生が大好き。」問題

    
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「先生が大好き。」問題

将来の夢は先生?

わたしは幼い頃から「先生」が大好きでした。


保育園の頃は、
保育園の先生が大好きで、

将来は保育園の先生になりたいと言っていました。


小学生の頃は、
担任の先生が大好きで、

将来は小学生の先生になりたいと言っていました。



子どもが子どもに指人形。

きっと、
お世話好きな女の子だったと思います。


小学生3年生になったときには
地域の子ども会に入り、

小さな子ども達の前で
指人形を披露したり、

小さな子供達のお世話をするのも好きでした。


自分も子どもだということを忘れて
きっと先生になったような気分だったのでしょう。



先生にはなれないかも。

小学生の中学年になっていくと、

気が付くと「先生になりたい」と
だんだんと言えなくなっていきました。


私が怖れをなしたのは、

「先生」という職業が
公私ともにさらけ出す運命にあること。


笑顔で褒めることもある。
険しい顔で叱ったりすることもある。

常に一人でそこにいて、
そんな先生をフォローする人は
周りにはいないように見えました。


ある生徒にむけた言葉を
他の生徒が受け取ることもある。

休日には駅や道でばったり会うこともある。
先生の家族がそばにいることもある。


それでも、先生。

・・・先生にはなれないかも。
と思いました。



疑問を抱えたまま。

8歳の私に芽生えたのは
「一生を貫く孤独と恐怖」の感覚でした。


教科を教えるだけのためにそこにいるとは
とても思えません。

それだけでは務まらない仕事だということは
子供でも分かりました。


「先生はなぜ先生なのか?」

その疑問を抱えたまま
わたしは小学校を卒業することになります。


大学生になったとき、
あらためて「先生」という職業を考えました。

相変わらず「先生」という存在が
気になっていたのでしょう。



「孤独と恐怖」の問題。

幼い頃の「先生=孤独」「さらけ出す恐怖」
のイメージは払拭されていました。

「孤独ではない」


そこには目的があることが分かったからです。

目的があると、
そこでの孤独など気にならないことが分かりました。


「さらけ出すことは恐怖ではない」


私の前に現れた先生たちは、
自分自身をまず尊重して生きている

という前提があることが分かりました。


自分のことを大嫌いになったり、
大好きになったり、
あまりしないように見えました。


上手くいっても、上手くいかなくても、
全ては相対的なことである、と

両方の状態を
淡々と受け入れて生きている。


そういうことだと思いました。


幼い頃に自分に芽生えた
「孤独と恐怖」問題と「先生が大好き。」問題。

自分なりの納得解を得たとき、
静かな感動に包まれたのを今でも覚えています。



孤独の先に。

長い人生を教育の現場で生きる、
そのような選択に責任を持ち、

自立した生き方を選択し、

自分を尊重するのと同じように
他人を尊重する視点を保つ努力をしている。


そのままで在ることで人を導ける、
そんな素晴らしい大人達が
わたしの「先生」でした。


だから私は「先生が大好き。」
だったのではないかなぁと思います。


幼い頃には孤独の存在として映った先生達、
そして
大人になってから出会った恩師達も、

今は
『孤高の存在』として
心に浮かびます。