絵の探求と日々のあれこれ

親孝行から孔子へ (17)弟子が語る、孔子像。

    
\ この記事を共有 /
親孝行から孔子へ (17)弟子が語る、孔子像。


前回は、

孔子が大切にした
【 実践 】について書きました。
 


 

『論語』には
孔子の言葉だけでなく、

孔子の人格そのものについても
門人たちが伝え残しています。
 

その一つをご紹介します。
 

子(し)、四を絶(た)つ。

意(い)なく、必(ひつ)なく、
固(こ)なく、我(が)なし。

-『論語』子罕篇(しかんへん)より-

 
 

『意なく、必なく、固なく、我なし』

 
意味は、次のようになります。
 

『 先生は次の四つのことを
絶ち棄ててしまったので、
 

先生の言葉や行いには
この四つに関わる弊害が無かった。
 

第一は、
先方がまだその意志を表明していないのに

こちらから先に
気を廻して先方の考えを推し量ること。
 

第二は、
事をなすときに、

必ずやり通すと決め込み、
無理を押し通すこと。
 

第三は、
自分を守ることに執着をして、

このことは断じてしていないと
頑固に自分を守ること。
 

第四は、
すべての事柄について

自分中心に考え、
自分中心に動くこと。』
 

循環する心。

 
この四つは互いに関係しあい、

循環するものであるとして
説かれています。
 

第一の思い込みが
第二の無理押しにつながってしまい、
 

第三の自分を頑なに守ることで
第四の自分中心的な言動となってしまう
 

と解釈されています。
 

第一と第二、
つまり

思い込みと無理押しは
「事をなす前」に生まれる出来事であって、
 

第三と第四の
守りと自己中心的な言動は

「事をなした後」に生まれる出来事として
捉えられています。
 

また、
第四の自己中心的な言動によって

第一の思い込みが生じやすく、
 

自分の心の欲といったものが
循環してやまない
 

という状態を表しています。
 
 

孔子の人格をなす基準。

 
弟子が観た
孔子の人格は、

全てのことに対して
自然の道を基準として
 

自己の意志に
任せることがなかったことを

示しています。
 

孔子は何事にも、

「必ず、~しなければならない」
というような
 

一つの考え方のみに
偏った主張をせず、

何事も固執せず、
 

自然の道に従うように生きていた

と伝えられています。



次回に続きます。