絵の探求と日々のあれこれ

親孝行から孔子へ (14)自分を育てる。

    
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親孝行から孔子へ (14)自分を育てる。


前回は、

結果として「礼にかなう」
ということについて書きました。
 


 

周囲の状況と自然な調和をもたらす
無理のない自然なあり方

というものを
 

私達はどのように
育てていけばいいのでしょうか。
 

習うことは相遠し

 
孔子は次のように言っています。
 

性(せい)は相(あい)近(ちか)し。
習(なら)うことは相(あい)遠(とお)し。
 

唯(ただ)上知(じょうち)と
下愚(かぐ)とは移らず。

 

-『論語』陽貨篇(ようかへん)より-

 

教育のすすめ。

 
意味は以下のようになります。
 

『 人の生まれつきの素質は、
そんなに違いのあるものではない。
 

しかし、
生まれた後の習慣・教養によって

人と人との間には
大きな距離の差が生まれていく。
 

ただ最上級の賢人と
最下級の愚者は、
 

いかに修養しても
進歩もなければ退歩もない、

移りようのない者である。』
 

人の力の及ぶところ。

 
人の生まれつきの素質は

人の力で左右できるものではない
としても、
 

生まれた後の
習慣・教養による影響は

人間に大きな変化をもたらす
と考えることができそうです。
 

人の力の及ぶところ
であるが故に、

この、習慣としての教育の必要性が
ここに生まれる
 

と、孔子は説いています。


成長の機会は常にある。

 
また、

人は習いによって
賢とも愚とも

移り変るものであるけれど、
 

普通の人は別として、
 

最上級の賢人は

どんな過酷な状況でも
どんな壁をも突き破り

その天才を発揮し続け、
 

最下級の愚者は

困り苦しみながらも
自ら成長を諦め

自暴自棄になり
 

いつまでも学ぶことがないため
変わる機会も得られない

と教えています。
 



人間の中にある誤解と推定。

 
孔子は、

自然なあり方で生きると同時に、
日頃から
学びの習慣をつくることを勧めています。
 

私達は皆、
自分に起こった限られた経験をもとに

誤解をしていたり、
 

たぶんこうであろうと推定していたことが

いつのまにか
確信に変わっていたりするものです。
 

それが、
自分独自の癖となって

ある場面では
自分を支えてくれる大切な価値観でありつつも、
 

またある場面では
改善したいと思ってもすぐに行動に移せない

頑強な原因にもなっています。
 

真の成長とは。

 
人間というのは皆、

そのような心を持っていることを
知っているからこそ、
 

その上で
自発的に成長しようとする
人間の理性に

孔子は注目しています。
 

自分が生まれながらにして
持っている素質を大切に育て、
 

ありのままの自分で
生きられるようになるために

成長しようとする心。
 

自分にとっての自然なあり方に気づく
理性による精神的な幅と飛躍が

人生の深い喜びと
直接的に関わってくる
ということになりそうです。



次回に続きます。