親孝行から孔子へ (13)ふさわしいあり方へ。
前回は、
『礼記』におさめられた
自分にふさわしい自然な「あり方」
について書きました。
また、
このような言葉もあります。
敬にして礼に中(あた)らざる、
之を野(や)と謂(い)い、
恭(きょう)にして礼に中らざる、
之を給(きゅう)と謂い、
勇(ゆう)にして礼に中らざる、
之を逆(ぎゃく)と謂う。
-『礼記』仲尼燕居篇(ちゅうじえんきょへん)より-
ほどよい節度。
意味はこのようになります。
『 相手をいくら尊敬していても、
そのふるまいが節度に欠け
礼にかなっていなければ
それはただの野暮ということに
なってしまう。
また、度を越えた礼儀もまた
本当の礼ではなく、
窮屈なだけです。
そして、
いくら勇敢であっても、
礼がなければ
ただ乱暴なだけなのです。』
自然の調和に沿った姿を見出す。
「礼」というのが
全ての人が喜びを感じ
調和に満ちた人間関係・社会
を築く方法であることから、
なにかに身構えながら
自分の意図に沿って選び取る
「自分にとってのあるべき姿」
ではなく、
相手と自分が
それぞれ尊重されながらも、
さらに視野を広げた全体として
「周囲の状況と
自然な調和をもたらす無理のない姿」
というものが
この場合の「礼」にかなう
自然なあり方となりそうです。
自然なあり方を、育む。
日々刻々と変わる毎日の中で
そのような
「自然なあり方」を感じ取る
自らの感性を素直に育てていく、
そんな意識が
現実の捉え方というものを
変えてゆくのかもしれません。
自分の心は
自分の言動を通して
現実に形を現わします。
その働きかけの結果として、
調和に満ちた人間関係が築けたとき、
結果として、
私達は「礼になかった」瞬間を
体感することになるのでしょう。
人を育むということについて
孔子はどのように考えていたのでしょう。
次回に続きます。
