親孝行から孔子へ (2) 教えが宿る場所。
前回は、
生きていくことと
社会との関わりについて
書きました。
そんな中で、
身近な人や
本から受け取る【 教え 】
とはどんなものでしょうか。
言葉どおりの
文章や文字だけだとしたら、
行き詰まるときがくる
と感じます。
行き詰まりを超えるとき
言葉だけを受け止める
という習慣には
弱点があると感じます。
言葉と言葉の
行間に
自分の解釈が強く入ってしまうからです。
そんなとき、
その言葉を生み出した人の
想い、
さらには生き様、
といった
命の根源に触れると
新しい扉が開けるような
希望の光が見えてきます。
命の根源に触れるとき
命の根源とは、
その言葉を生み出した人物の
人となり、
あるいは
言葉の奥にある背景や
積み重ねてきた歩み
といったことです。
そのようなことに触れると、
その言葉が生み出された理由
がわかるからです。
その命の根源から溢れ出た
【 教え 】が
全体性を保ったまま
私達へ流れ来たとき、
私達は
自分の中にある知識や経験とは
全く別の次元で
その言葉が
実に的を射たものとして
心に響いてくる
という体験をすることになります。
つながっていくもの
その体験には
自分の認識を超えた
大きな感動があります。
それを
心のよりどころとして
ひとつひとつ
自分で確かめていくことで、
その感動がいつしか
本当の自分のものと
なっていくのだと思います。
これが
学びの始まりではないでしょうか。
孔子の言葉
二千年以上もの時を超えて
語り伝えられる古典があります。
たとえば『論語』には、
孔子の人となりを示す言葉が
(Confucius, 紀元前552-479)
弟子たちによって
数多く語り伝えられています。
孔子の人格と共に
言葉があるのです。
その言葉を説いた心境や
背景を知った時、
孔子の人格の高さを見出し
大きな感動と共感の気持ちに包まれ、
もう一度、
歩みを進めてみよう
という気持ちになるのではないかと
わたしは思います。
そんな沢山の教えが詰まった『論語』から
弟子たちが一番に選んだ孔子の言葉を
次回、
ご紹介してみようと思います。
