悲願
人生の質は、
人生そのものよりも重要だ。
人は誰でも弱い所に光を照らせば
身も心もボロボロの傷だらけ。
傷を負った時
はじめて自分の心を自覚する。
人を傷つけたと思えば後悔し、
自分を責める。
しかしこれだけは守らなければと
これだけは成し遂げなければと
自分の道を自分で決め、這い上がる。
人に任せることのできない
強い想い、大きな願いを
悲願と言う。
仏教で言えば、
この世の一切衆生を最後の一人まで
ただひたすら救おうとする
仏様の慈悲心から生じる誓願のことを
悲願と言う。
悲願を持った者は
繰り返し、繰り返し、
我を忘れて身を削り改善を試みる。
それがいつしか第二の天性となり
自らの新しい人格をも形成する。
そのとき
すでに無理をせずに自然体で
様々な事柄に対処できている
今の自分の『当たり前』の部分を
それ以上のものは存在しないくらいに
心底大切なものであると
慈しむ心が必要だ。
悲願を自覚する機会は
それほど多くないかもしれない。
あるいは
繰り返しもたらされるかもしれない。
自分の中の
今ある悲願と向き合える人は
幸せだ。
諦めるのはまだ早い。
まだ出来ることがある。
あともう一歩、
時間がある限り
力強く踏み出そう。
ユーモアを携えて。
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“たとえ僕の人生が負け戦であっても、
僕は最後まで戦いたい….”
-フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ
(オランダのポスト印象派の画家)
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NORi