絵の探求と日々のあれこれ

アンコールワットと慈悲。

    
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アンコールワットと慈悲。

仏教の根本理念とアンコール・ワットの世界観について。

アンコール・ワットといえば、

死ぬまでに絶対行きたい場所という
ランキングで
いつも上位に輝く世界遺産です。


カンボジア北西部。

シュムリアップ市から
北へ 5 km ほど行ったところに
突如として現れる大寺院です。




ユネスコの世界遺産(文化遺産)である
アンコール遺跡群を代表する寺院で、

クメール建築の最高傑作と言われています。


わたしも実際に見に行ってきたのですが、
その圧倒的な存在感と
壮厳な姿にただただ感動し、

翌年もまた
アンコール・ワットへ向かうことになりました。




アンコール・ワットの世界観。

アンコール・ワットは
12 世紀前半に

ヒンドゥー教の霊廟(れいびょう)寺院として
造営され、

のちに仏教寺院ともなったそうです。


この偉大な建造物に込められたものとは
一体どのようなものなのでしょうか。




東アジアの仏教界に
特に大きな影響を与えた

『 華厳の思想 』の世界を表現したものだと
考えられているようです。




華厳の哲学

華厳の思想で
強調されている世界観に

一即一切というものがあります。


この世界の一切の存在と現象は
相互に関連しあって成立しており、

決して他のものから隔離されて
存在しているものはない、

という思想だそうです。




一つの個体は全体のなかにあり、
個体のなかにもまた全体を含んでいる。

個体と全体とは互いに即している、
とする考え方です。



アンコール・ワットは、

この世のすべての現象が
相互に融合して一体となった

調和の世界を示しているとも言えるのでしょう。




大乗仏教の精神。

この考えは、
一人の個人の存在というものの意義を
深く尊重するものへとつながっていきます。


これは、

たった一人の修行僧の存在が
縁のあるすべての人を
悟りに導くことができるという

大乗仏教の精神から来ているようです。




「私」という存在は

全宇宙の無限の相互作用の連続の産物として
「私」として現れたものであり、

決して「私以外の何物か」としては
現れなかったわけですが、


このことは、
「私」というものが見えない偉大な働きによって
必然的に現れたことを意味するとともに、

未来もまた自然と展開されていくものであることを
示唆しています。




同時に、

「私」という存在が、
この世のあらゆる存在に影響を与えている

と自覚することで、
「私」の生き方を自然と自律的なものに
してくれるものでもあります。




仏教の根本倫理。

華厳の思想では、

一切の存在を差別なく尊重するという
徹底的に包容主義の立場をとっています。


これは、
仏教の根本的な精神
ともいえるのではないでしょうか。




仏教には、
すべて平等に及ぼさねばならない
という精神があります。

それは、
『 慈悲 』という言葉で表されている
すべての人に対して
温かい心を持って接する心です。


『 慈 』とは「友」という意味から来る
慈しみの心で、

純粋な真の友情に由来する心情を
意味しているそうです。




慈しむことは愛を注ぐことですから
感情的なものと言えるかもしれません。

ですが、
それだけでは人を守り切ることは難しい
ということになります。


真に相手のことを想うならば、
自分の手の届かない未来にまで
思いを馳せなければなりません。




そこで必要なのが理性です。


相手の意思を尊重した上で
その人が自力で幸せを掴めるようになるには
どうしたら良いのかを知っていなければ

その人を幸せに導くことはできません。




『 悲 』とは
人が悲しんでいるときに
その心を同じくし、

自分のことのように悲しむ心です。


時には
その人が自力で悲しみを乗り越えようと
頑張っている姿を見守る必要もあるでしょう。




その時に
手を出さずに見守っていられるかが
問われています。


真の愛情には感情だけでなく
理性の働きが必要で、

相手の健全な成長を育むために
手出しが出来ない辛さや悲しみを
引き受ける必要もあるわけです。




なんとしても助けたい
そう思う本能的な『慈』の感情に
勝る理性というのは辛く『悲』しいけれど、

真の愛情とは
そういうものなのかもしれません。




許されない愛?

慈悲の心の一端を知る体験は、

家族間の愛情であったり
深い友情であるかもしれません。


しかしそれは仏教の理想からすると
許されない愛でもあるようです。




自分の身にとって親しい間柄や
身近な存在に向ける愛情がある一方で、

自分に親しくないものや
自分から遠い存在のことに対しては

疎んじる傾向があることは
すぐに思い当たることです。


憎しみに転じる可能性のある愛は
慈悲ではないことになります。




仏教ではこの慈悲の精神が
人間という対象を超えて、

一切の生きとし生けるものにまで及ぶことを
理想(悟りの境地)としています。




理想を抱く人の美しさ。

個人的な愛情を超越して
すべての存在を
差別なく平等に尊重する精神がもたらす景色とは

一体どのようなものなのでしょう。


また、
執着の心を離れた
『 慈悲 』の心の宿った人の姿とは

一体どのようなものなのでしょう。




アンコール・ワットが表す
荘厳な世界観と重なっていきます。


アンコール・ワットという場所は、
理想の境地を求める人々の美しい心を
励まし導く場所でもあるのかもしれないと、
そんな気持ちになりました。