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親孝行から孔子へ (15)学びの習慣化。

    
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親孝行から孔子へ (15)学びの習慣化。


前回は、

孔子のすすめている
教育について書きました。
 


 

ふと思わず行動していること、

それはありのままの
自然なあり方であると同時に、
 

自分の癖のようなものでもあります。
 

つまり自分の言動は、
今の自分の心を表している

ということになるのでしょう。
 

習慣としての学び。

 
自発的に成長を望むとき、

私達はすでに学びの中にいます。
 

そんな時に有効なのが、
習慣としての学び
ということになりそうです。
 

普段の生活の中に

学びの時間を計画的に
また意識的に含めていくことで、
 

学びを習慣化できるような環境を
自分で整えることもできます。

 

学びの効果はゆっくり表れる。

 
私達には一人ひとり
思考の癖といったものがありますが、

 
長期的なスパンで見ればそれは
変えることができるものです。
 

限られた分野の特定の技術の習得
といったものだけではなく

人生を貫通する
本質的な学びに及ぶこともあるでしょう。
 

大人になってからでも、
「習慣化された学び」によって
人生において大きな成長をもたらし、

長期的に自分の思考に
大きな幅や奥行きをもたらすことができるのです。

 

 

思考だけに偏らない。

 
しかし一方で、

日常の「実践(行動)」の時間において

学びや計画といった
「思考」が介入すると
 

結果や評価に囚われ
自らの目標という設定の前で
慎重になり、
 

私達は
動けなくなってしまいます。
 

孔子が「実践」という行動を
重んじる理由が

このあたりにあるのではないかと
思えてきます。
 

行動と思考を分ける。

 
そこで、

「学び(思考)」の時間と
「実践(行動)」の時間とを

分けて確保することが必要となるでしょう。
 

学びの時間を確保できる
環境を整え、
学びを継続していくことで、

自然と
その中で学んだこと(思考したこと)が

スムーズに実行できるような自分に後で気が付く
という順番になりそうです。
 

私達は環境の生き物でありますから、

自然体で実践(行動)できる環境を
自分なりに少しでも整えていくことで、
 

環境が「自然な行動」を作ってくれる
ということにもなり得ます。

 

 

環境の力が生み出す最良の思考。

 
孔子のすすめる学びの習慣とは、

学びが習慣にできるように
自分の環境を整えることも含むでしょう。
 

そこから生まれる「行動」には

自分に無理を強いるような「思考」は
介入しずらくなっていくでしょう。
 

そこにあるのは

与えられた環境の中で柔軟に思考する
「工夫」という概念です。
 

こうすべき、こうしなければならない
という思考ではなく、

こうしてみたい、こうしてみようかな

という「工夫」が

実践という日常を
ワクワクしたものに変えます。

 

意志の力だけに頼らない。

 
学びを通して「思考」が変化することで

価値観もまた変わるのでしょう。
 

しかし、
思考の変化はというのは
とてもとても遅く、

そう簡単には変わリません。

意志の力だけではとうてい続きません。
 

「もう少し工夫してみようかな」という
長期的・包括的な視点が

結果を焦ることなく、自分の柔軟性を楽しむ
心の余裕を生み出すのではないでしょうか。

 

繰り返し、繰り返し、学ぶことになる。

 
自発的な成長を望むとき、

自然と自分のあり方を
省みることにもなります。
 

今の自分を含めて、

今の環境の中だからこそ
生み出されていることが多い

と気づきます。
 

私達は環境によって何度も
成長の機会を得ることになり、

少しずつ段階を追って
繰り返し、繰り返し、なにかを学ぶのでしょう。
 

意識的に
自然なあり方といった
自然の法則を学び続けていくことで、

ふとした瞬間に現れる自分の振る舞いが
結果として

自然と調和したものになっていく。
 

孔子の言葉は
そんな景色を見せてくれているように思います。



次回に続きます。