親孝行から孔子へ (5)知識を超える。
前回は、
孔子の追求した
『道』について書きました。
孔子は、
学び続けることの大切さを
弟子たちに語り続けました。
これは
知識という枠組みを超えて
生き方そのものを学ぶ
という実践的なものだったようです。
理想像としての「君子」。
『論語』の中には
「君子」という言葉が度々出てきます。
人として生きるべき崇高な「道」を
追求しながら生きる
理想的な人格者のことを示しています。
君子についての言葉があります。
君子は諸(これ)を
己(おのれ)に求む。小人(しょうじん)は諸れを
人に求む。
-『論語』衛霊公篇(えいのれいこうへん)より-
問題が起きたときに立ち現れる姿
意味は次のようになります。
『 人の信頼を集める人というのは、
何か問題があったときに
自分に責任を求め、
事を行うときには
自分の実力の有無を内省する。
そうでない人は、
問題があったときには
他人に責任をなすりつけ、
事を行うときには
自分の能力の有無を省みず
人に評価されることを求める。』
理想像としての「君子」。その2
君子について書かれた言葉を
もう一つ、ご紹介します。
君子の過(あやまち)や、
日月(じつげつ)の蝕(しょく)の如し。過(あやま)つときは人皆(ひとみな)之(これ)を見る。
更(あらた)むるときは人皆之を仰(あお)ぐ。
-『論語』子張篇(しちょうへん)より-
『 有徳の君子にも
過ちがないわけではない。
しかし、君子が過ちを犯したときには
少しも隠し立てすることがないため、
人々はみんなこれを見て、
あたかも日蝕や月蝕を見る時のように
明らかにこれを認識する。
問題が起きたときに立ち現れる姿。その2
しかし、
その間違いを認めて
すぐに直そうする君子の姿を見て、
あたかも日蝕や月蝕が終わり
元の光が復活した時のような
喜びと敬いの気持ちをもって
その君子の姿を仰ぎ見るのである。』
立派な人が間違いを素直に認めて
すぐに改める姿には
私も何度も感動を覚えました。
そのような生き方は
一体どのようにして
得られるものなのでしょうか。
次回も、
孔子の言葉をご紹介していきます。
