絵の探求と日々のあれこれ

親孝行から孔子へ (3)弟子が選んだ孔子の言葉。

    
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親孝行から孔子へ (3)弟子が選んだ孔子の言葉。


前回は、
孔子の教えを伝える『論語』には

孔子の人柄も綴られている
ということを書きました。




そんな沢山の教えが詰まった『論語』。

その中から最も心に響いたものは何か?
 

弟子たちは相談したそうです。
 
 

喜びとは、心から実感できること。

 
弟子たちが選んだのは-
 

学びて時に之を習う、
亦(ま)た説(よろこ)ばしからずや。

-『論語』学而篇(がくじへん)より-

意味は、

『 学んだところを繰り返し練習していくと
真の知識として自分のものになる。
 

こんな嬉しいことはないではないか。』
ということなのですが、



弟子たちは、
時間をかけて繰り返し学び続けることによって

徐々に自分が変わっていく実感と、
 

本当の人生の喜びというものを
心から共感できるようになった感動を、
 

この言葉に託し

『論語』の一番はじめに納めたのでした。
 




後世に伝えたかったこととは。

 
この言葉には続きがあります。
 

孔子はさらに
弟子たちに語りかけています。
 

朋(とも)、遠方より来(きた)る有り、
亦楽しからずや。

人知らずして慍(いきどお)らず、
亦君子ならずや。

-『論語』学而篇(がくじへん)より-

『 このようにして修養を積むと自然に
共に道を学ぼうとする者が出来て、
 

思いがけない遠方から
友が慕い訪ねてくるようになるだろう。
 

こんな楽しいことはないではないか。
 
たとえ、

修養を積んでいる自分の存在を
人が認めてくれなくとも、
 

怨むことなく、

平然と自分の為すべきことを
努めてやまない人は、
 

これこそ真に修養の出来上がった
立派な人というべきではなかろうか。』
 
 

戦乱の世で

 
孔子は
戦乱の時代の中で

人として歩むべき道を学ぶことの
大切さを説き続けました。
 

自分の品位を高めようと
ひたすら努力を続けた人物として
 

孔子の言葉とその生きる姿は
二千年以上も語り継がれています。
 

自己の学習により、

あるいはまた、
友との切磋によって磨かれる学びは
 

最後には

真の正義の心や道徳心となることを
教えています。
 



何に喜びを感じるか

 
弟子たちは、
孔子の人格の高さを見出すとともに
 

何に対して喜びを感じ

何に楽しみを見出すのか、
 

人間の品位は学ぶことで
高めていけると悟ります。



そんな孔子が伝えようとした
人生の究極の目的とは何でしょうか。

次は、 孔子の残した言葉を
ご紹介してみようと思います。